日本人が中国にいると相互学習という言葉を聞くことがある。

たとえば中国に滞在する日本人が中国語会話を勉強したいと思うけど先生を雇ったり学校に行ったりするのはお金がかかるので、日本語を勉強している中国人の友達を作って互いに自分の母語を教え合うというシステムだ。

なるほど、なかなかよい考えだと思うけど、実際はお互い教えるプロでもないし、言語習熟度が違うのでどうしてもどっちかの言語にひっぱられてしまいがちになってしまうのだがまあ友達を作るという意味ではいいことかも。

さてこの相互学習という言葉は元々、中国の少数民族対策から生まれた言葉じゃないかと思う。

というのは司馬遼太郎の紀行文でこの相互学習という言葉が出てくる。

少数民族が漢民族の文化や言葉を学ぶ一方で漢民族も少数民族の文化や言葉も学んで互いに学び合いながら理解し合おうという・・・プロパ・・・いや政策。

司馬遼太郎もすばらしいと大絶賛しているし、確かに一方の文化や言語を押し付けるのではなく互いに相手のことを学びあうって本当にすばらしいことだと思う。

ああ、宗教や民族の壁を乗り越えていくなんてすばらしいんだ。

ああ、中華民族団結!

ああ、共産党のおかげで宗教と民族の壁を越えることができた!

共産党万歳ーーーーー!

なんだけど。。。実際はどうだろうね。

話は飛んでモンゴルを旅行していたときの話。

モンゴル西部の町バヤンウルギーの郊外でモンゴル人のゲルに招かれて言葉が通じないながらもトルコ語とモンゴル語とジェスチャーを交えながらそのゲルの主人と会話をした。

ふとカザフ人の話になってそのゲルの主人のモンゴル人が言うには「カザフは駄目だ。あいつらはイスラム教徒だ。テロばっかやっている。」と言う。

バヤンウルギーはモンゴルの町なのだけど、どっちかというとカザフ人が多くてモンゴル人は少数派。
そのモンゴル人もカザフ語も分かるようでたぶんカザフ人とも交流があるんだろうけど、こんな感じだた。


そしてバヤンウルギーからウランバートルまでのバスに乗ったときの話。
バスにはモンゴル人とカザフ人(モンゴル国籍)が混在して乗車しているのだけど、モンゴル人もカザフ人も互いにニコニコ会話(モンゴル語で)している。

ああ、別にいがみ合っているわけじゃなくて仲いいんだなぁと思っていたら、食堂での食事のときはモンゴル人エリアとカザフ人エリアではっきり分かれて食事をしていた。

ありゃ・・・さっきまで仲良く話していたのに・・・

ちなみに僕はどっちに行こうか迷ってモンゴル人エリアで食事をした。

モンゴル人は豚のソーセージとか食べていたのでやっぱ一緒に食事はあかんのかなぁ。

まあ、そんなことを目撃した僕は宗教や民族を超えて多文化共生なんていうきれいごとはまったく信用しないのであります。

結局、多文化は互いに干渉せず、冷ややかに、悪口いうなら陰で言いましょうがいいと思う。