桃太郎伝説と言っても懐かしのゲームソフトじゃありません。
桃太郎は岡山で有名ですが香川にも桃太郎伝説があるのです。
香川の桃太郎の話はよく知られているものと少し違います。
香川の民話では桃太郎は第7代孝霊天皇の第八皇子雅武彦命(わかたけひこのみこと)だそうです。
ある時,稚武彦命は讃岐に住んでいた姉である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に会うため船に乗って本津川を上ってきました。
そう、実は桃太郎は箸墓古墳の被葬者と伝えられている倭迹迹日百襲姫命の弟だったんですね。
そのとき,川で洗濯をしている美しい娘に一目惚れをしてしまい,娘の家に婿養子に入ります。
流れてきた桃から生まれたのではなくて川を舟に乗って自分で漕いできたんですね。
しかもナンパしてちゃっかり婿入りまでしちゃってます。
婿入りして身の上話をいろいろ聞いてみると実はこの娘はかつて鬼に攫われたことがあり、なんとか鬼から逃れてこの村で暮らしていたと言うのです。
しかも他にもまだ大勢の娘達が拉致されていて監禁状態だと言うではないですか。
それを聞いた稚武彦命は娘たちを救うために鬼退治に出かけることにしました。
実は鬼とは瀬戸内海を荒らしていた海賊のことで,鬼大王とも呼ばれ,村人たちを苦しめていたのです。
稚武彦命は現在の香川県綾川町陶の住人猿王と航海術に長けた瀬戸内海の犬島(岡山県岡山市)の住人、そして弓矢が得意な鬼無近くの雉子谷(かしがだに)の住人を引き連れ鬼ヶ島に向かいます。
猿王と言えば・・・。
以前書いた記事の讃留霊王(さるれおう)ですね。
讃留霊王伝説の謎
陶はその名の通り古代須恵器の産地でここで作られた土器や須恵器が朝廷に送られていたそうです。
しかし、犬は航海術、雉は弓と敵をやっつけるための得意技があるのに猿は須恵器を作るとかなんか地味ですね。
まあそんな感じで鬼ヶ島に行き無事、鬼を退治してめでたしめでたしというわけです。
岡山のほうの伝説では雅武彦命の異母弟である吉備津彦命(きびつひこのみこと)がモデルになっていて話も少し違います。
こちらの詳しい話はまた別の機会で。
また古事記では兄弟二人が共同して吉備を平定したとあり、もしかしたら雅武彦命のほうは海のほう担当で海賊を討伐していてこれが桃太郎伝説になったのかもしれません。
ここまで伝説ということで書いてきましたが実は香川にはなんと桃太郎のお墓が実在するのです!
しかも桃太郎だけじゃなく犬や雉のお墓もあるんです。
お墓のある場所は香川県高松市鬼無町鬼無にある熊野権現神社、通称桃太郎神社です。
鬼無とは桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったから鬼無という地名になったそうです。
桃太郎神社の本殿です。
もちろん稚武彦命が祀られています。
でもなんで熊野権現なのかは不明。
撮影用の顔出しパネルもあります。
ここに参拝に来た人たちはここに顔をつっこんで写真を撮るのでしょう。
さてお墓です。
一番左端にある大きな石が桃太郎のお墓です。
ちゃんと石碑にも書いています。
桃太郎の遺跡
桃太郎・爺婆犬猿雉之墓
え?お爺さんお婆さんや犬、猿、雉のお墓もあるの?
確かに左から犬、猿と書いてあります。
右のが雉で左のは?
うーん。。。お爺さんお婆さんのにしては小さすぎる気がする。
竜堂神?じゃないなぁ。
なんて書いてあるんだろ?
縁結びの神様がありました。
これがお爺さんお婆さんのお墓???
土俵がありました。
奉納相撲でもするんだろうか?
神社のすぐちかくに鬼塚というところがあるので行ってみました。
これが鬼塚です。
桃太郎たちが鬼ヶ島で鬼を退治した後に生き残りが追いかけてきて襲ってきたので返り討ちにして葬ったところが鬼塚だそうです。GTOではありません。
大きな石で組まれたような感じなのでもしかしたら古墳なのかなぁ・・・?
さらになんとお婆さんが洗濯していた場所まであるというので行ってきました。
本津川のえいたい橋のたもとにありました。
ちゃんと立て札もあります。
え・・・?確か洗濯してたのってお婆さんじゃなくて娘じゃなかったっけ?
まあ硬いことは言いっこ無しで。
最後に鬼ヶ島も紹介します。
鬼ヶ島は高松の沖にある女木島と言われています。
女木島へは高松港からフェリーが出ているので簡単に行くことができます。
今回は女木島まで行かなかったのですが10年前ほど行ったときの写真があったのでここにあげておきます。
可愛い鬼がお出迎え。
鬼(海賊?)の秘密基地である洞窟の入り口には怖そうな青鬼がいました。
中では桃太郎と鬼との壮絶な戦いが繰り広げられています。
ま、こんな感じなので興味の有る方はぜひ桃太郎神社と合わせてぜひ女木島へ訪れてください。
もしかしたら本物の鬼に会えるかも・・・
桃太郎は岡山で有名ですが香川にも桃太郎伝説があるのです。
香川の桃太郎の話はよく知られているものと少し違います。
香川の民話では桃太郎は第7代孝霊天皇の第八皇子雅武彦命(わかたけひこのみこと)だそうです。
ある時,稚武彦命は讃岐に住んでいた姉である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に会うため船に乗って本津川を上ってきました。
そう、実は桃太郎は箸墓古墳の被葬者と伝えられている倭迹迹日百襲姫命の弟だったんですね。
そのとき,川で洗濯をしている美しい娘に一目惚れをしてしまい,娘の家に婿養子に入ります。
流れてきた桃から生まれたのではなくて川を舟に乗って自分で漕いできたんですね。
しかもナンパしてちゃっかり婿入りまでしちゃってます。
婿入りして身の上話をいろいろ聞いてみると実はこの娘はかつて鬼に攫われたことがあり、なんとか鬼から逃れてこの村で暮らしていたと言うのです。
しかも他にもまだ大勢の娘達が拉致されていて監禁状態だと言うではないですか。
それを聞いた稚武彦命は娘たちを救うために鬼退治に出かけることにしました。
実は鬼とは瀬戸内海を荒らしていた海賊のことで,鬼大王とも呼ばれ,村人たちを苦しめていたのです。
稚武彦命は現在の香川県綾川町陶の住人猿王と航海術に長けた瀬戸内海の犬島(岡山県岡山市)の住人、そして弓矢が得意な鬼無近くの雉子谷(かしがだに)の住人を引き連れ鬼ヶ島に向かいます。
猿王と言えば・・・。
以前書いた記事の讃留霊王(さるれおう)ですね。
讃留霊王伝説の謎
陶はその名の通り古代須恵器の産地でここで作られた土器や須恵器が朝廷に送られていたそうです。
しかし、犬は航海術、雉は弓と敵をやっつけるための得意技があるのに猿は須恵器を作るとかなんか地味ですね。
まあそんな感じで鬼ヶ島に行き無事、鬼を退治してめでたしめでたしというわけです。
岡山のほうの伝説では雅武彦命の異母弟である吉備津彦命(きびつひこのみこと)がモデルになっていて話も少し違います。
こちらの詳しい話はまた別の機会で。
また古事記では兄弟二人が共同して吉備を平定したとあり、もしかしたら雅武彦命のほうは海のほう担当で海賊を討伐していてこれが桃太郎伝説になったのかもしれません。
ここまで伝説ということで書いてきましたが実は香川にはなんと桃太郎のお墓が実在するのです!
しかも桃太郎だけじゃなく犬や雉のお墓もあるんです。
お墓のある場所は香川県高松市鬼無町鬼無にある熊野権現神社、通称桃太郎神社です。
鬼無とは桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったから鬼無という地名になったそうです。
桃太郎神社の本殿です。
もちろん稚武彦命が祀られています。
でもなんで熊野権現なのかは不明。
撮影用の顔出しパネルもあります。
ここに参拝に来た人たちはここに顔をつっこんで写真を撮るのでしょう。
さてお墓です。
一番左端にある大きな石が桃太郎のお墓です。
ちゃんと石碑にも書いています。
桃太郎の遺跡
桃太郎・爺婆犬猿雉之墓
え?お爺さんお婆さんや犬、猿、雉のお墓もあるの?
確かに左から犬、猿と書いてあります。
右のが雉で左のは?
うーん。。。お爺さんお婆さんのにしては小さすぎる気がする。
竜堂神?じゃないなぁ。
なんて書いてあるんだろ?
縁結びの神様がありました。
これがお爺さんお婆さんのお墓???
土俵がありました。
奉納相撲でもするんだろうか?
神社のすぐちかくに鬼塚というところがあるので行ってみました。
これが鬼塚です。
桃太郎たちが鬼ヶ島で鬼を退治した後に生き残りが追いかけてきて襲ってきたので返り討ちにして葬ったところが鬼塚だそうです。GTOではありません。
大きな石で組まれたような感じなのでもしかしたら古墳なのかなぁ・・・?
さらになんとお婆さんが洗濯していた場所まであるというので行ってきました。
本津川のえいたい橋のたもとにありました。
ちゃんと立て札もあります。
え・・・?確か洗濯してたのってお婆さんじゃなくて娘じゃなかったっけ?
まあ硬いことは言いっこ無しで。
最後に鬼ヶ島も紹介します。
鬼ヶ島は高松の沖にある女木島と言われています。
女木島へは高松港からフェリーが出ているので簡単に行くことができます。
今回は女木島まで行かなかったのですが10年前ほど行ったときの写真があったのでここにあげておきます。
可愛い鬼がお出迎え。
鬼(海賊?)の秘密基地である洞窟の入り口には怖そうな青鬼がいました。
中では桃太郎と鬼との壮絶な戦いが繰り広げられています。
ま、こんな感じなので興味の有る方はぜひ桃太郎神社と合わせてぜひ女木島へ訪れてください。
もしかしたら本物の鬼に会えるかも・・・
コメント
コメント一覧 (2)
そして、実際はこうだったのではないかと想像してみました。
3世紀ごろ、邪馬台国(大和)を盟主とする邪馬台国連合が存在し、その勢力圏は大和から瀬戸内海沿岸、九州北部にまで及んでいました。
しかし、瀬戸内海のある島を根拠地とする海賊がいて、付近を航行する船を襲っていました。
そこで、邪馬台国は武人を派遣しました。武人は、吉備の住人、讃岐の住人(猿王)と共に戦い、海賊を討伐することができました。
のちの伝説では、邪馬台国が派遣した武人が桃太郎になり、吉備の住人が犬になり、讃岐の住人(猿王)が猿になりました。
史実はどうだったか分かりませんが、いろいろ想像するのは楽しいですね。
なるほど素晴らしい推理ですね。
王家の次男三男の婿入りというのは地方豪族が貴種の血を入れて中央とのつながりを強くするということでよくあったのではないかと思います。おそらく讃留霊王を先祖とする綾氏もそうやって中央とつながり地元で勢力を張っていたのではないのかと思います。